城北の卒業生
卒業生からのメッセージ
先生方の手厚いサポートと恵まれた環境。
城北だからこそ、ここまで努力できた。
兄の大学受験を間近で見ていたため、かねてから大学受験における英語の重要性を実感していました。しかし、英語が得意でなかった私。そこで日常的に英語に触れることができる城北を選択しました。特進科は、少人数制で一人ひとりを丁寧に見てくれる点が大きな特色です。先生方と一緒に自分に適した勉強法を考えたり、気分に左右されやすかった私をメンタル面でも支えてくださったことがとても記憶に残っています。
具体的に大学進学を決めたのは、2年生の頃。医療系の仕事や勉強、研究がしたいという思いでした。勉強面では、苦手教科でも点数を落とさないようにという目標を持って取り組んでいたら、結果的にその教科が好きになり、モチベーションを保つことができました。毎日19時半まで集中して勉強できる環境もありがたかったです。今振り返ると、城北でなければここまでしっかりと勉強はできなかったと思います。そう思えるほど、手厚い先生方のサポートには心から感謝しています。今の自分があるのは城北のおかげです。
現在、大学で所属している医療系の分野は専門的で難しく、周りからは他の学部と比べて忙しいといわれていますが、高校時代と比較すると自由な時間が多く充実していると感じます。そう感じられるのは、城北でのしっかりとした学びのベースがあったおかげだと思います。今後は大学院に進み、今以上に安全な放射線技術について研究することが目標です。
仲間がいたから全力で頑張れた。
城北は学びの可能性を広げてくれた場所。
何事にも「団結して取り組む」という意識で過ごした3年間。学校行事も受験も、一緒に前を向ける仲間がいたからこそ全力で頑張ることができました。進路を決めたのは高3の9月頃。授業では受験科目だけでなく、自分の興味分野を探究できる機会があり、それが進路選択のきっかけとなりました。大学ではPowerPointを用いた発表の機会が多くありますが、特進科でのICT教育のおかげで、学期末の発表で1位をとることができました。
城北は自分にとって、学びの可能性を広げてくれた場所。生徒が主体であり、自分の納得する形で学びを深められたことに感謝しています。今後も城北で得た学びの姿勢をベースに、何事にも興味を絶やさず、新たな発見を増やしていきたいです。
自分と向き合い、挑戦し続けた3年間、手に入れたのは「諦めない力」。
音楽教師になることを夢に選んだ特進科は、3年間変わらないクラスメイトと親身な先生方に囲まれたとてもアットホームな雰囲気でした。部活と勉強の両立を目指し、忙しくも充実した毎日。そこで得たのは「諦めない力」でした。城北では現状に満足することなく、常に成長に向かい歩み続ける姿勢が身に付きました。
進路相談で悩んだ高3の夏、先生方に多くのアドバイスをいただき自分としっかり向き合った結果、現在の道へ。多くのことに挑戦する中で、自分が大切にしたい価値観を見つけることができた城北は、私にとって「今の自分」のきっかけになった場所です。現在は東京の情報系企業でクライアントのコミュニケーション戦略を手掛け、やりがいのある日々を送っています。
仲間や先生方との出会い、そして学び。
城北の高校生活はまるで「宝箱」。
小さい頃から夢だった医療系の道へ進むため、城北を選びました。部活動と勉強も両立したいと思い進学教養コースへ。城北は先生方のサポートが手厚く、悩んだときによく相談に乗っていただきました。3年間の高校生活の中では、想像もつかないような考えを持つ仲間や先生方と出会え、人生の幅が広がりました。中でも大きかったのが「困難の乗り越え方」を学んだこと。高校時代にいつも先生方がおっしゃっていた「常に考える」というメッセージが、今の私の思考基盤になっています。また、医療系の道に進む上では、コミュニケーション能力などが非常に大切だと感じ、グループ活動には特に力を入れて取り組んでいました。
部活動ではサッカー部に所属し、顧問の先生と仲間たちと過ごした3年間は最高の思い出になりました。もうひとつ記憶に残っているのは、リモートで行われた生徒総会です。クラスから積極的に質問をしたことで場が盛り上がり、この経験を通して、何事も取り組み方次第で何倍も楽しくなるということを実感しました。
城北の高校生活は、例えるなら「宝箱」。自分の行動次第でかけがえのないものが得られる場所です。現在の大学生活は、勉強はもちろん、遊び、サークル、塾、バイトなど、とても充実しています。今後は合格率30%の難関資格「第一種放射線取扱主任者」に合格し、病院勤務をしながら研究をすることが目標です。
挑戦の先に道は開ける。
インターハイ入賞が自分を変えた。
水泳と駅伝に力を注いでいた中学時代に、全国クラスの城北高校陸上部に入りたいと思い城北に進学しました。スポーツ関連の資格習得ができる進学を目指し、進学総合コースへ。
城北での一番の思い出は、怪我を転機に顧問の先生の助言で始めた競歩で、全国インターハイに入賞したこと。それがその後の私を変える大きなきっかけになり、自分の力をさらに試すために大学進学を決意しました。
困難に向き合いコツコツ頑張ることで、最後には大きな花を咲かせるという高校での体験から、今でも意識しているのが、まずは何事にも挑戦すること。初めての社会人生活もその信念で3年目になりました。最近はお客様からの「ありがとう!」が増え、人の力になれることの嬉しさとやりがいを感じています。
部活動を通して学んだ人間性。
城北での学びのすべてが今に生きている。
普通科の中でも部活動と勉強の両立ができる進学教養コースを選択しました。硬式野球部に所属し、甲子園出場という大きな目標に向かって仲間と多くの時間を費やし、努力していました。甲子園出場は叶いませんでしたが、礼儀や忍耐力、人としてどうあるべきかを学んだ実りある時間でした。勉強面では限られた時間内で工夫しテスト勉強に臨み、課題は休み時間にこなしました。そのおかげで、基礎的な学力が身に付いていてよかったと感じることがよくあります。
城北は今の自分にとって、多くの部分を占めている場所。あの時間がなければ今の自分はないと思えるほど中身の濃い3年間でした。現在、大学4年になり就職活動に臨んでいますが、城北で培った全てが今に生きています。
城北は保育士への近道。
苦手だったピアノも自信に。
保育士という夢への近道として、城北の幼教福祉コースを選びました。系列の東北文教大学や幼稚園と連携した学びを受けられる点も魅力的でした。授業では、一人一台のピアノでじっくり練習できる環境が整っていて、ピアノが苦手だった私にとっての大きな利点でした。同じ夢を持つクラスメイトと支え合いながら勉強できた環境も良かったです。部活動では吹奏楽部に所属し、家族のような存在の仲間たちと一緒に楽しい時間を過ごしました。辛いこともありましたが、それを補っても余りあるくらいの素敵な思い出がいっぱいです。また、部長としてさまざまな人と関わる中で身についたコミュニケーションスキルは、今の自分の支えとなっています。周りをよく見て先回りして動いたり、必ずしも自分と考え方が一致しない人とも良好な関係を築けるようになったのは、城北で過ごした3年間があったからだと思います。
現在は夢だった保育士になり、楽しく充実した毎日を過ごしています。高校時代に頑張ったピアノは、子どもたちと楽しい時間を過ごすための欠かせないツールとなり、今に活きています。子どもたちは、昨日できなかったことが今日はできるようになったり、あっという間に成長します。その成長を間近で見られるのがこの仕事の魅力です。卒業後もよく城北へ近況報告に行っていますが、いつも先生方が温かく迎えてくれます。城北は私にとって、いつでも戻れるあったかい場所です。
県民のみなさんからの「いつもお疲れ様、ありがとう」の声が喜び。
城北には、幅広い知識を身につけて将来の進路につなげたいと思い入学しました。卓球部で遠征に行ったこと、生徒会長として活動した経験など、全てがよい思い出です。城北は自分にとってかけがえのない場所であり、今後も関わりを持って行きたい大きな存在です。子どもの頃から憧れていた警察官という目標をはっきりと意識したのは、高校2年生の時です。顧問の先生の「有言実行」という言葉に背中を押され、一次試験に向けた約24科目の勉強と体力試験のための対策に励みました。現在は警察官として勤務する中で、県民のみなさんから感謝や労いの言葉をいただけることにやりがいを感じます。刑事課鑑識係になることが今の目標です。
全力で取り組んだ城北での3年間を礎に現場で活躍する介護士を目指して。
中学生の頃から介護士になりたいという夢があり、城北なら福祉に関する知識を学べると思い入学を決めました。城北での3年間は、勉強、部活、遊び、全てに全力で取り組みました。先生が生徒一人ひとりをしっかりと見てくれるので、集中して授業に取り組むことができました。高校時代に学んだ福祉の基礎は、大学に入ってからも大いに役立っています。また物事の背景を踏まえて自分なりに考える力を養うことができたのは、城北での学びのおかげです。
短大に所属する現在は、限られた時間で資格を取るため、毎日忙しく勉強しています。今後は、実習などを通して現場での立ち回りをしっかり学び、介護士に必要な技術を身につけていきたいと思っています。
バレーボール選手になった今でも「城北を選んで良かった」とよく思う。
全国大会出場を目指し、部活動のバレーボールに熱中した高校時代。私にとって城北の3年間は、今でもよく「城北を選んで良かった」と思うことがあるほど、人生を大きく変えた他の何ものにも代えがたい大切な時間です。
高校時代の記憶でよく覚えているのが、1年の県高総体のとき。試合後の反省会で恩師からの叱咤を受け、自分の考えの甘さを痛感したときのことです。それ以降、競技に対する意識が一変し、キャプテンとして周りを見ながら行動することや、お互い助け合いながらどう勝利へ向かうかと考えるきっかけになりました。目的達成のために意識したことはまず、強い体を作るための食事。そして練習はひとつひとつを100%全力で取り組み、できないことはスキマ時間でひたすら鍛錬しました。
チームメイトは自分を含め全国大会経験のない選手ばかりでしたが、「どうしたら全国の壁を破れるのか?」と皆で意見を出し合い、一つの方向に向かって進んだ結果、初めて春高バレーに出場。初の全国大会にも出場することができ、その時の喜びはひとしおでした。3年の県高総体決勝では怪我でインターハイ出場を逃し、これまでにないほどの大きな挫折を味わいましたが、悔しさをバネに必死に練習に取り組み、春高県予選優勝というかけがえのない経験を得ることができました。これからも城北で得た「謙虚」の言葉を胸に、全日本で活躍するバレーボール選手を目指して練習に励んでいきたいと思います。
城北で学んだスポーツの楽しさを教員として子どもたちに伝えたい。
城北は私にとって、「教師」という夢を発見させてくれた場所。将来スポーツに携わる職業に就きたいと思っていた私が卒業後の進路を決めたのは、3年の春でした。悩みに悩んでいた私に、担任の先生がいろいろな大学を勧めてくださり、その結果、当初予定していた専門学校から大学に進路を変更しました。視野が広がったことで「城北で学んだスポーツの楽しさや素晴らしさを教員として子どもたちに伝えたい」と思うことができたのは、先生方の温かいアドバイスのおかげです。
高校生活は、勉強だけなく部活動にも励み、仲間と相談し合い苦労を分かち合った3年間でした。現在は大学最後の1年間を大切に楽しみながら、中学校の保健体育教員を目指し勉強に励んでいます。
高みを目指せる仲間、温かい先生方との出会いは一生の宝
体を動かすことが好きだった私にとって、スポーツ総合コースは多様なスポーツを授業に取り入れている点が魅力でした。城北で身につけた栄養学や救急介護法などの専門知識や技能は、現在大学の授業でも活かされています。
城北での高校時代は、スポーツだけでなく何事も本気で取り組むクラスメイトたちの姿勢に刺激を受け、成長できた3年間でした。特に、甲子園出場を目指し過ごした野球部での経験は大切な宝物です。コロナ禍の苦難を一緒に乗り越えたチームメイトは一生の友です。なかなか気持ちを切り替えられなかった自分を温かく励ましてくださった先生方にも心から感謝しています。毎日練習に取り組み、子どもの頃からの夢だったプロ野球選手になることが目標です。